「売れたら青天井やで」の笑顔に、うっすら寒気がした
ある日、知り合いに誘われて、副業の説明会に顔出したことがあるんよ。
ホワイトボードの前で、スーツのお兄さんがニコニコしながら言うわけ。
「ここは完全歩合なんでね、売れたぶんだけ青天井ですよ。上限なしです!」
最初は正直、「うわ、夢あるやん」と思った。
残業代も出えへん世界で働いてきた身としては、「上限なし」という言葉にはやっぱりちょっと惹かれる。
でもね、その人の笑顔を見ているうちに、なんやろ…胸の奥がスッと冷えた。
「売れへん日」は?
「評価されへん週」は?
そのとき、その人はどんな顔してるんやろ。
自分がその立場になった姿を想像した瞬間、ゾッとしたんよね。

自分の一日が「ゼロ円」と言われる世界
完全歩合って、たしかに夢はある仕組みやと思う。
うまくハマった人からしたら、「こんなに自由で最高の働き方ないで!」ってなるやろうし。
でも、裏側をひっくり返して見たら、
どれだけ時間かけても、どれだけ人と向き合っても、
「今日は売れてへんから、あなたの価値はゼロ円です」
って突きつけられる世界でもある。
もちろん、頭では分かってる。
「ビジネスなんやから、結果で測られるのは当たり前やろ?」っていう声も、ちゃんと聞こえる。
それでも、あたしの性格的には、
ゼロ円の日が何日も続いたら、きっと自分のことを嫌いになってまう。
「向いてないんかな」
「才能ないんかな」
「がんばり方が全部間違っとるんかな」
そうやって、成果だけやなくて、自分の存在までまとめて値引きしてしまいそうでね。
数字に心を乗っ取られると、言葉が荒れる
一度、成果主義寄りのSNS案件に関わったことがある。
「反応数がすべて」みたいな、あの世界。
最初の一週間で、あたしの頭の中はすぐこうなった。
- いいね何件ついた?
- 保存は?
- インプレッションは?
- この一文、もっとバズる言い回しに変えられへんか?
気づいたら、「誰に届けたいか」よりも
「どうやったら数字が跳ねるか」ばっかり考えてた。
数日やからまだ笑い話で済むけど、
あれが何ヶ月も続いたら、あたしはたぶん壊れる。
言葉も荒れてくるし、人にも厳しくなる。
自分にも、もっと厳しくなる。
「なんでこんなんしか書けへんねん」
って、自分をどつき回すみたいな口調で、頭の中の独り言がうるさくなるのが目に浮かんだ。
あたしが完全歩合を選ばんかった、いくつかの理由
説明会の帰り道、カフェで一人になって、落ち着いて考えてみた。
- 不安定さと引き換えに手に入る「自由」は、あたしには強すぎる毒かもしれん
- 「売れへん=自分の価値なし」という構造の中に、長くいたくはない
- 人との信頼より先に、数字がドンっと前に出てくる仕事は、きっとしんどくなる
そう思ったら、自然と「ここでは働かへん」と決めてた。
数字が小さくてもええから、
売れへん日があっても
「まあ、今日はこんなもんか。また明日やな」
って、ふうっと一息ついて終われる働き方のほうが、あたしには合ってる。

「安定=退屈」って、ほんまなんやろか?
昔のあたしは、
「安定した働き方=退屈な人生」
みたいに思い込んでた時期もある。
でもよう考えたら、それって誰かの受け売りやったんよね。
安定してるからこそ、夜にゆっくり本が読めたり、
休みの日に考えごとしながら散歩できたり、
ふとしたときに、「こんな文章書いてみよかな」ってノートを開けたりする。
それって、退屈どころか、
あたしにとってはかなり贅沢な時間やな、って気づいたんよ。
結果より、生活の質。
刺激より、長く続けられる日々。
そんな基準で働き方を選んでも、別に負けちゃうわけやない。
ただ、自分の心を守る選択をしただけや、って今は思ってる。
数字に追われると、言葉が痩せる。
あたしは「言葉」で生きていきたいから、
心が荒れてまで「完全歩合」に賭ける道は選ばんかった。
青天井は魅力的やけど、
天井のない不安に押しつぶされるくらいやったら、
ほどよい高さの天井の下で、静かにコツコツ積んでいくほうが、
あたしにはちょうどええんやと思う。

