書いてるときは「今日はええ仕事した」と思ってた
あの日、昼過ぎにPC開いて、気づいたら外が真っ暗になってた。
- 構成を組み直して
- 文章を削っては足し
- 写真の位置も何度も変えて
「ここはもうちょい丁寧に書いとこか」とか、
「この一文はちょっとくどいな」とか、ひとりでブツブツ言いながら。
肩も腰もガチガチ、目はしょぼしょぼ。
それでも公開ボタンを押した瞬間は、
「今日は、さすがにええ仕事したやろ」
って、ちょっとだけ自分を褒めてた。
…そのときは、まだ知らんかった。
その記事が、“数字の上では存在しない”ことになるなんて。
公開から数時間後、「0」という現実
夜、お風呂に入る前に、なんとなくアクセスをチェックした。
PV:0
「反映されてへんだけかな?」と思って、
ページをリロード → 0
時間を置いてからもう一回 → 0
SNSにもリンク投げたはずやのに、
“いいね”も、リポストも、コメントも、何も動いてへん。
──え、うそやろ?
──3時間かけたやつやで?
そう思えば思うほど、胸のあたりがきゅっと重くなる。
記事の良し悪し以前に、
「誰にも見られてへん」という事実そのもの
が、一番ぐさっと来た。
努力が透明になったみたいな虚しさは、経験した人にしか分からんかもしれへん。
なんで“ゼロ”やったんか、自分なりに解剖してみた
落ち込みきって、そのまま寝ることもできたけど、
なんかそれも悔しくて、翌日に冷静モードで記事を見直した。
まず思ったのは、「タイトル、これで良かったん?」ってこと。
- 自分では分かりやすいつもりやった
- でも、読み手から見たら「今すぐ読む理由」が弱かった
- 「ふーん」で終わってしまうワードの並びやったかもしれん
公開した時間も、けっこう遅かった。
SNSのタイムラインがほぼ止まってる時間帯で、人の目がそもそも少ない。
コンテンツそのものは、正直そんなに悪くなかったと思う。
でも、
届く環境とタイミングを外したら、
ここまで数字が動かへんのか…
っていう現実を、数字のゼロが突きつけてきた。
「書きたいことだけ書いた記事」は、
気持ち的にはスッキリするけど、数字の世界ではどうしても弱くなる。
それも、痛いけどひとつの事実なんやなと認めざるを得んかった。
心の立て直しは、PCを閉じるところから始めた
ゼロを見た夜は、正直かなりへこんだ。
「もうええわ」と言いながら、PCをそっと閉じて、
そのままお風呂に逃げ込んだ。
湯船につかりながら、
- 「あたし何してんねやろ」
- 「3時間あったら、他にできたこと山ほどあったよな」
って、ちょっと自分にツッコミ入れたりもした。
でも、湯気の中でぼーっと考えてたら、
だんだん視点が変わってきた。
──3時間かけて書いた“文章そのもの”は、消えてない。
──構成を組んだ感覚も、言い回しの工夫も、写真選びの目も、ちゃんと残ってる。
数字がゼロでも、
「書ききった」経験だけは、どう転んでもゼロにはならんのよな、と。
ゼロだからこそ見えたこと
「見られへんかった」経験って、
ある意味で、めちゃくちゃ分かりやすいフィードバックでもある。
だって、こう考えられるから。
- タイトルに“引っかかり”が足りなかった
- 読者が動いてない時間帯に出してしまった
- 誰に向けてるのか、自分の中でぼんやりしてた
逆に言えば、
- タイトルでもう一歩踏み込む
- 読者がスマホ触ってそうな時間帯を狙う
- 「誰に」「どんな場面で」読んでほしいかを、先に決める
このあたりを変えていけば、
次の一歩は、今回より確実にマシになる。
ゼロは痛い。めっちゃ痛い。
でも、そのぶんだけ「何を直せばいいか」がくっきり見えたのも事実やった。
次からは、時間の使い方も変えていく
もうひとつ、学びとして強かったのは「時間配分」のこと。
あの日の内訳をざっくり振り返ると、
- 文章構成と本文:2時間半以上
- 写真選びと装飾:30分ちょい
- タイトル・告知文:10〜15分くらい(正直、最後バタバタ)
そらタイトルが弱くても仕方ないよな…と、自分で突っ込みたくなった。
だから次からは、目安をこう決めた。
- 文章構成と本文:2時間
- 画像や装飾:1時間
- 最後の30分は「タイトル+SNS告知」に全振り
どれだけ良い記事でも、
見つけてもらえなかったら、読者の世界では「存在しない」のと同じやから。
そこに時間を使わんのは、ただのもったいないやな、とやっと腹に落ちた。
ゼロの日も、ちゃんと黒字に変えていく
PVゼロの日は、気持ち的にはどう考えても赤字や。
でも、学びと気づきをちゃんと回収できたら、
帳簿の上ではギリギリ黒字にできるんちゃうか、とも思う。
- タイトルの付け方
- 出すタイミングの選び方
- 「書きたい」だけじゃなく「読まれたい」のバランスの取り方
この日のゼロは、
あたしにとって「見られるための設計」を考え直すターニングポイントになった。
アクセスゼロの記事も、
未来のアクセス増のための“土台”になってくれる。
そう信じられるぶんだけ、
ゼロの日も、完全な無駄ではなくなる。
魂の一句
ゼロの日が、次の一歩を濃くする。
